さて前回のコラム以後、なかなか忙しく(いいことでしょうか)なかなかまとまった時間が取れず、もう1年も経ってしまいました。2008年ももう残りわずか、開院して3年になろうとしています。このコラムは初め平成3年大学の医局に入局してどんなことがあったのか思い出しながら、開業するに至った道のりをお伝えしようと思ったのです。が毎回その当時の出来事を回想すると、いろんな登場人物が出て来て、じゃその人は今何をしている?なんて確認をしたりする、それが内輪の人にしかわからないことなんですが、うけてたりする、予想外の反響があったりする、不思議なものです。そういったできごとは、もちろん毎日毎日起こっていたことで今でも鮮明に覚えているのです。口腔外科という歯科の中でも異質な部分を担当する診療科を志した多くの先生方と公私にわたり交流しいろんな事を学び成長していった(と思う)貴重な過程をこんな安っぽいコラムに記すのはちょっと気が引けてきています。またあまりにも出来事が多すぎてなかなか先に進みません。でもやれるだけやってみますけど。このコラムを毎月更新しても何年かかることでしょう。それこそ「長い道のり」ですね(笑)。
さて先を急ぎましょう(急がなくても?)口腔外科の病棟には常時20名から30名近くの患者さんが入院してみえました。親知らずの抜歯や嚢胞と言われる袋の摘出等はすぐ退院になり、入れ替わりが速いのですが、悪性腫瘍の患者さんはだいたい長期入院になります。悪性腫瘍の患者さんが次々増えると多い時には10名以上みえたと記憶しています。腫瘍の患者さんを大きく分けると3つ、primaryの患者さんは腫瘍の治療が未治療で初めて入院された方、recurrentの患者さんは、原発部位の局所再発、もしくは頸部のリンパ節転移の方、あとはterminalの患者さんは、腫瘍の再発、転移の制御が不能になり根治の可能性がなくなった方、となります。腫瘍の治療はもちろん根治を目指して行うのが原則でありいろんな治療法が選択されます。プライマリーの患者さんは外来で臨床的に悪性と診断されればほぼ数日以内に入院となります。もちろん診断は生検をし必ず病理組織学的な確定診断を行います。治療法の選択は、その腫瘍の大きさ、深さ、浸潤様式(組織学的なタイプ)によって最適な治療法をご本人とそのご家族とよくお話して決めます。それはもちろんオーベンである助手の先生の役割ですが、悪性腫瘍のみならずこういった、mund
therapie (ドイツ語で口の治療)病状説明することが非常に大切なことなんです。略してムンテラと言われます。インフォームドコンセントなどと最近はよく言われますが、医療の根底にあるのは弱い患者さん側にいかに安全、安心な治療を施すか、ということを納得、理解してもらうかということであるはずなのに、この部分がうまくなされず問題になることが医療現場で多くみられます。さてそれはどうしてでしょう?この問題は自分にもあてはまる、重要な問題ですがものすごく長くなりそうなのでまたの機会に譲ります。腫瘍のほとんどを担当されていました林助手(現第二日赤病院口腔外科部長)は、いつもムンテラをしていました。「林先生は?」と聞くと「病棟でムンテラ」とみな合い言葉のように唱えていました。少しオーバーですか。そういえばムンテラと言えば、私の同期に寺本(現開業)というアジア系の人間がおりましてテーラー寺本と呼ばれていました。ムンテラと聞くと彼を思い出します(関係ありませんでした)。
さてだいぶ遠回りしてしまいました。プライマリーの患者さんは多くの方が放射線療法、化学療法を併用した手術療法をすることになります。担当医はその計画を立て準備をするのです。ウンテンである私は何をやればよいのかもちろんわからず、林助手から「青木が来るからあいつに聞け」なんて言われたものでした。ミッテンの青木先生(現開業)は雑務をうまくこなし林助手からも信頼されているようで、病棟でも最もお世話になりました。青木先生といえば「夜の帝王」と言われ夜の顔が有名でした。私は詳しくは知りませんでしたが、たびたび飲みに連れて行ってもらいました。というか、当時製薬会社の人がよく色々な所に連れて行ってくれましたのでそういう方々と一緒にということなんですが。その後そういう接待は一切禁止になりましたのでその当時はほんとにいい思いをしました。製薬会社の人にとっては例えフレッシュでも先生ということで一生懸命持ち上げてくれますので、私たちもきっと増長して勘違いしていたんではないかなと思います。しかしいい時代でした・・・何がいいかは・・・忘れました。
またまた遠回りしました。プライマリーの患者さんはたいてい手術をすることになります。プライマリーの方も再発の患者さんも頸部リンパ節転移が疑われれば舌、歯肉などの原発部位と頸部のリンパ節を含めた組織を一塊に切除する頸部廓清術を行う事が多く月に何度もありました。腫瘍グループでもあった私はいつも頸部廓清に入っていました。頸部廓清は手術時間が長く大変でした。たいていは欠損した部位の再建をしなくてはならないので、形成外科チームの先生方の組織採取と血管吻合が必要になるからです。手や足、腹の組織を移植するのです。時には顎骨もなくなった場合は、腓骨や肩甲骨の採取、移植が必要でした。朝九時から開始し、終わるのがたいてい深夜になりました。15、6時間の手術はざらでした。あるときは次の朝にずれこみ、他の手術室ではその日の手術が始まっていました。ほんとに辛かったなあ、という感じです。患者さんが一番大変なんでしょうけど、驚くことに林助手や藤内講師(現横浜市立大学口腔外科教授)はこんなことほんとは言ってはいけないんですが、異常に楽しそう、というか予後はどうあれ患者さんの為に最善を尽くした満足感というか充実感を漂わせいつもうれしそうでした。不謹慎ですが、カルチノーマがほんとに好きなんだな、手術が好きなのかもしれませんが、私たちがぐったりしている中異常な元気さが印象に残っています。手術後患者さんをICUに移して病棟に戻り家族にムンテラ、さらに摘出した頸部組織のリンパ節の切り出し、何十個もあるリンパ節を取り出して病理組織検査に出すのです。何回経験しても私はいつも心は折れていました、しかし林助手は・・・まあそうでなければずっとはやっていけないことなんでしょうが・・・異常です。もちろん私もその後何年かがんばったつもりですが、その時すでにあんなにはなれないな、とあきらめていたような気がします。もちろん林先生は今でも日赤で腫瘍と闘ってみえるのですから。
さてこんなふうに手術はうまくいっても患者さんにとっては大変、傷の痛みのほかに機能障害が必ず残ります。咀嚼はもちろん嚥下、会話、形成外科で採取した部位に応じて、腕の運動、や歩行にも障害が出ます。そのリハビリも大変です。放射線を当てたのであれば、傷の治りが悪く感染したり、唾液腺が障害され唾液が出なくなったりもします。こんな大変なのに、術後経過が良好でやっと退院、となって数ヶ月後には再発で入院ってことも珍しくありません。悪性ですから、再発、転移というのは常に頭に入れておかねばなりません。ご本人、ご家族のショックは計り知れません。外来で再発が疑われたら即入院となります。根治が見込める症例はまだいいですが、頸部廓清を行ったのに頸部再発、あるいは反対側のリンパ節の転移の疑いなどかなり予後が厳しい症例にも出くわします。再発の患者さんはやはりより長期の入院が必要となるでしょう。手術が無理でも放射線、化学療法で腫瘍を抑えることは可能です、また当時温熱治療といって他の治療を補助する腫瘍に熱を加える治療も行っていました。後に行う事になる私の学位研究テーマも何を隠そう温熱治療がからんでおりまして当教室(藤内講師の)が温熱治療では有名であったことを付け加えておきます。その実験のことも後日お話することになるでしょう。
さてそして再治療も奏効せず腫瘍のコントロールが不可能になってしまった方は、一時退院、入院を繰り返し家族の方のご希望でもはや最後の入院となると、ターミナルと呼ばれ終末医療をすることになるのです。顎顔面の悪性腫瘍の場合ターミナルの方は、顔面、頸部がえぐれたり、顔面が倍くらいに腫れ上がったり審美的に醜形を来たします、そういった意味で悲惨です。もちろん気管切開もすることになるでしょう、起き上がる事も食事もできないのです。ただ高年齢の方は腫瘍の進行が非常に緩慢でそうなってから数ヶ月から1年も生きる方もみえます。患者さんのQOLを考える上で非常に難しい問題で簡単な答えは見いだせません。家族の方は積極的な延命は望まないが、苦しまないようにしてほしい、と言われる場合が非常に多いのです。口腔外科に身を置いて、他の歯科と決定的に違うのが、患者さんの死に立ち会う事です。私の担当のターミナルの患者さんもいつステってもおかしくないという状態でした。「ステる」ドイツ語で死を意味するsterbenからきた造語といえます。担当になるといつもドキドキしていました。いつ呼ばれるかわからないのですから。もちろん危険なサインはあるわけですから、患者さんの状態はチェックしていくわけですが、いよいよというときは病棟からコールが医局にあります。
「Aさん血圧下がってるそうです!」とか、「Bさん呼吸止まりましたあっ!」とか電話に出た医局員が叫びます。こりゃいかん、と担当医だけでなく他の先生たちも病棟に走ります。当時は別棟の医局は4階で、口腔外科病棟は6階と少し離れており歩いたら3〜4分はかかるところです。医局から非常階段で一階に駆け下り病院本館の1階へ走りエレベータで6階まで全力で1分もかかりません。オーベンの先生はナースにあれやこれやと指示、家族の方に連絡をしてもらい来てもらいます。酸素の濃度をあげます。呼吸が止まり、心停止してもとにかく家族の方が到着されるまではなんとかしなければ、と。フレッシュはただおろおろするのみでした。たいていは気管切開をしていますので、肺を膨らませ、心臓マッサージをします。患者さんも頑張りました。ただもはやもう生きる力は残されていません。家族の方が到着されれば私たちにもうする事はありません。ただステルベンの宣告をするのみです。家族の方にはいつもいつも病状については十分ムンテラはされており心の準備をしておいていただきます。覚悟はできてはいますがついにこのときが来てしまったか、とやはり悲しいご対面となります。こんなことが何度もありましたが、いつもいつもですがひとしきりのお別れの間私たちはただ病室から漏れる泣き声、叫び声を耳にしながらただ放心してうつむくのみなのです。非常にむなしさを感じお見送りの準備をします。地下にある霊安室に担当医、担当ナース、婦長とお運びし、ご冥福をお祈りします。手配された葬儀屋さんの車が来るまでそこに待機するのです。そんな時まず例外なく家族の方は私たちに深く何度もお辞儀をし感謝をされます。こちらはあまりお力になれなかったのに・・・。悪性、すなわち癌とはそういうものなのですね。なんとも難しい、うまく治って退院された方、こうして治らなかった方、最善を尽くしてもその予想は困難です。大手術の大変さ、ステルベンに立ち会うむなしさ、また違った大変さなんですが、カルチノーマはとにかく大変だーと実感する日々でした。と今回はこんなところでしょうか。ではまた。